いのちがいちばん輝く日が 2月~ 関西で 上映されます


映画に出てこられる 細井順先生と溝渕監督、
淀川キリスト教病院の柏木哲夫先生と溝渕監督
元花園大学 学長 西村惠信先生と溝渕監督
のトークショーがあります
別の日に なんと有り難いことに 私も監督と京都 大阪 神戸の3ヶ所で
トークショーを 下記の日に ご一緒させていただくことになりました
京都シネマ(京都四条) 上映 2月9日~22日(12日休館)
トークショー 2月17日(日)
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第七藝術劇場(大阪十三) 上映 2月9日~22日(19日休館)
トークショー 2月18日(月)
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元町映画館(神戸)上映 2月23日~3月8日
トークショー 2月24日(日)
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お時間の都合がつけば、ぜひいらしてください
場所や 上映時間 休館日など それぞれ 異なりますので いのちがいちばん輝く日のページをご覧くださいね
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いのちがいちばん輝く日
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りゅう 17日の京都トークショーはどうでしたか?
今日、行きたかったけど、多忙で、、、m(_ _)m
今週のいつか、シネマ行ってきますヽ(^o^)丿
りゅうさんへ
poku 映画は 好調のようで 16日には立ち見が出て お断りしないといけない状態だったそうです
17日も ほぼ満席でした トークショー楽しい時間でした
忙しいと思うから 時間があったら行ってきてくださいね 無理のないようにしてください

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ブログで 紹介させていただいた映画
「いのちがいちばん輝く日」

2月2日 新宿 k's cinema
ロードショーが 始まります 2月2日~ 22日
トークショー 2日~6日まで 素晴らしい方々が(^0^)
2日(土)細井順先生(希望館 ホスピス長 映画出演)と溝渕雅幸監督
3日(日)溝渕雅幸監督
4日(月)アルフォンス・デーケン先生(上智大学)と溝渕雅幸監督
5日(火)伊勢真一監督と溝渕雅幸監督
6日(水)溝渕雅幸監督
関東の方々 または東京に行かれる予定の方々 ぜひ足を運んでくださいね
スケジュールは 下記をクリック

いのちがいちばん輝く日 新宿k's cinema

今日、友達が車の中で 「こんな話 知ってる?ネットで見たよ」と言ってある話しをしてくれました
家に帰ってきてからも その話がずっと頭に残っていました
リンク先にさせてもらっている「命のLufran」を見ると ちょうどその話が アップされていました

コピーさせてもらいました
長いけれど 最後まで ぜひ読んでみてくださいね
実際にあった話かどうかはわからないそうですが、実際にあってもなくても 読んでみてね
仕事から帰宅すると、妻は食事の支度をととのえていた。
僕は彼女の手をにぎり「話があるんだ」と切り出した。
妻は何も言わず席についた。その目は苦痛に満ちていた。
ふと、僕はどう切り出したらいいのか分からなくなった。
でも言わなければならない。「離婚したいんだ」と。
僕は冷静に、その言葉を口にした。
妻は大したリアクションも見せず、ただ静かに聞き返した。「どうして?」
その問いに敢えて答えないでいたら、妻はとうとう怒りをあらわにした。
彼女は箸を投げ散らかし叫んだ。「あんたなんか、男じゃない!!」
その夜、その口論のあと
僕らはとうとう一言も言葉を交わさなかった。
妻のすすり泣く声がかすかに聞こえた。
わかっている。どうして僕らがこうなってしまったのか、妻はその理由を知りたがっているのだ。
でも僕は、彼女を納得させられるような説明をとうてい与えられるはずはなかった。
それもそのはず。僕は「ジェーン」という他の女性を愛してしまったのだ。
妻のことは、、、もう愛していなかった。
ただ哀れんでいただけだったのだ!
深い罪悪難に苛まれながら、僕は離婚の「承諾書」を書き上げた。
その中には、家は妻に譲ること、車も妻に譲ること、僕の会社の30%の株も譲渡することを記した。
彼女はそれをチラと見ただけで、ビリビリと破り捨てた。
僕がこの10年という月日を共に過ごした、この女は
僕にとってもはや「見知らぬだれか」に成り下がっていた。
彼女が今まで僕のために浪費した、時間、労力、エネルギーに対しては、、、本当に申し訳ないと思っている。
でも自分が「ジェーン」を愛しているという気持ちに、これ以上目を背けることは出来なかった。
承諾書を破り捨てたあと、妻はとうとう大声をあげて泣き始めた。
ヘンな言い方だが、僕はその彼女の泣く姿を見て少しホッとしたのだ。
これで離婚は確定だ。
この数週間、呪いのように頭の中につきまとっていた「離婚」という二文字は、
これでとうとう現実化したのだ。
その翌日、僕は仕事からかなり遅くに帰宅した。
家に戻ると、妻はテーブルに向かって何かを一生懸命に書いていた。
夕食はまだだったが食欲など到底なく、僕はただベッドに崩れるように倒れ込み寝入ってしまった。
深夜に一度目が覚めたが、その時も妻はまだテーブルで何かを書いているようだった。
僕はもはや大した興味もなく、ふたたび眠りについた。
朝になって、妻は僕に「離婚の条件」とつきつけてきた。
彼女は家も車も株も、何も欲しくないと言った。
でもその代わりに「1ヶ月間の準備期間」が欲しいと言ってきた。
そして彼女の条件は、その1ヶ月のあいだ出来るだけ「今までどおり」の生活をすること。
その理由は明確だった。
僕らの息子が、1ヶ月後にとても大切な試験を控えているため
できるだけ彼を動揺させたくないというのが、彼女の言い分だった。
それに関しては、僕は即座に納得した。
だが、それ以外にもうひとつ妻は条件をつけてきた。
「私たちが結婚した日、あなたが私を抱き上げて寝室に入った日のことを思い出してほしい」と。
そして、これからの一ヶ月のあいだ、あの時と同じようにして
毎朝、彼女が仕事へ行くときに
彼女を腕に抱き上げて 寝室から玄関口まで運んでほしいと言うのだ。
僕は「とうとうおかしくなったな・・・」と思った。
でもこれ以上妻といざこざを起こしたくなかった僕は、黙って彼女の条件を受け入れた。
僕は「ジェーン」にこのことを話した。
ジェーンはお腹を抱えて笑い、「ばかじゃないの」と言った。
今さら何をどうジタバタしたって離婚はまぬがれないのにと
ジェーンは嘲るように笑った。
僕が「離婚」を切り出して以来
僕ら夫婦はまったくスキンシップをとっていなかった。
なので
彼女を抱き上げて玄関口まで連れていった1日目
僕らは二人ともなんともヘンな感じで、ぎこちなかった。
それでもそんな僕らの後ろを、息子はそれは嬉しそうに手をパチパチ叩いてついてきた。
「ダディーがマミーを抱っこして『いってらっしゃい』するよ!」
その言葉を聞くなり、僕の胸はきりきりと痛んだ。
寝室からリビングへ、そして玄関口へと
僕は妻を腕に抱いたまま10メートルは歩いただろうか。
妻は目を閉じたまま、そっと「どうかあの子には離婚のことは言わないで」と耳元でささやいた。
僕は黙ってうなずいた。でもなぜか、そうしながら
心はひどく動揺していた。
妻をドアの外に静かにおろすと、彼女はそのままいつものバス停へ向かって歩いていった。
僕もいつもどおり車に乗り込み仕事へ向かった。
2日目の朝
初日よりは少しは慣れた感があった。
抱き上げられながら、妻は僕の胸に自然ともたれかかっていた。
僕はふと、彼女のブラウスから薫るほのかな香りに気づいた。
そして思った。
こうして彼女をこんな近くできちんと見たのは、最後いつだっただろうかと。。。
妻がもはや若かりし頃の妻ではないことに、僕は今さらながら驚愕していた。
その顔には細かなシワが刻まれ
髪の毛には、なんと白いものが入り交じっている!
結婚してからの年数が、これだけの変化を彼女に。。。
その一瞬、僕は自問した。「僕は彼女に何てことをしてしまったのだろう」と。
4日目の朝
彼女を抱き上げたとき、ふと
かつて僕らの間にあった、あの愛情に満ちた「つながり感」が戻ってくるのを感じた。
この人は
この女性は
僕に10年という年月を捧げてくれた人だった。
5日目、そして6日目の朝
その感覚はさらに強くなった。
このことを、僕は「ジェーン」には言わなかった。
日にちが経つにつれ
妻を抱き上げることが日に日にラクになってゆくのを感じた。
なにせ毎朝していることなので、腕の筋力もそりゃ強くなるだろうと
僕は単純にそう考えていた。
ある朝、妻はその日着てゆく服を選んでいた。
鏡のまえで何着も何着も試着して
それでも体にピッタリくる一着が、なかなか見つからないようだった。
そして彼女は「はあ〜っ」とため息をついた。
「どれもこれも、何だか大きくなっちゃって。。。」
その言葉を耳にして、僕はてハッ!とした。妻はいつの間にやせ細っていたのだ!
妻を抱き上げやすくなったのは、僕の腕力がついたからではなく
彼女が今まで以上に軽くなっていたからだったのだ!
愕然とした。
それほどまで、やせ細ってしまうまで
彼女は痛みと苦痛を胸のなかに。。。
僕は思わず手を伸ばして、妻の髪に触れていた。
そこに息子がやってきた。
「ダディー、マミーを抱っこして『いってらっしゃい』する時間だよ!」
息子には、父親が母親を毎朝抱き上げるこの光景を目にすることが
すでに大切な日常の一場面となっているようだった。
妻は、そんな息子にむかって「おいで」と優しく手招きしたかと思うと
彼を力いっぱいぎゅっと抱きしめた。
僕は思わず目をそらした。
そうしないと、最後の最後で、気が変わってしまいそうだったからだ!
僕はだまって、いつものように妻を腕に抱き上げ
寝室から、リビング、そして玄関口へと
彼女を運んだ。
妻はただそっと、僕の首に腕を回していた。
そんな彼女を、気づいたら強くグッと抱きしめていた。
そうまるで、結婚したあの日の僕のように。。。
彼女の、それはそれは軽くなった体を腕のなかに感じながら
僕は例えようのない悲しみを覚えていた。
そして最後の朝、
妻を抱き上げたとき
僕は、一歩たりとも歩みを進めることができなかった。
その日息子はすでに学校へ行ってしまっていた。
僕は妻をしっかりと腕に抱き、そして言った。
「今まで気づかなかったよ。僕たちの結婚生活に、こうしてお互いのぬくもりを感じる時間がどれほど欠けていたか・・・」
そして僕はいつもどおり仕事へ向かった。
何かにせき立てられるように、とにかくここで、最後の最後で
自分の決心が揺らいでしまうのが怖くて
それを振り切るかのように、車を停めると鍵もかけずに飛び出し
オフィスのある上の階まで駆け上がっていった。
気が変わってしまう前に、オフィスへ行かなければ。早く「ジェーン」のもとへ!
ドアを開けるとそこに「ジェーン」がいた。
彼女を見た瞬間、
僕は思わず口にしていた。
「ジェーン、すまない。 僕は離婚はできない。」
「ジェーン」は「はあ?」という目で僕を見つめ
そして額に手をあてた。「あなた、熱でもあるの?」
僕はジェーンの手を額からはずし、再度言った。
「すまない、ジェーン。僕は離婚はできないんだ。」
「妻との結婚生活が『退屈』に感じられたのは、彼女を愛していなかったからではなく
僕が毎日の小さな幸せを、他愛のない、だけどかけがえのない小さな日常を
大切にしてこなかったからなんだ。
今頃になって気づいたよ。あの日、あの結婚した日
僕が彼女を腕に抱いて家の中へ初めての一歩を踏み入れたあの日のように
僕は死が二人を分つまで、彼女をしっかり腕に抱いているべきだったんだ!」
「ジェーン」はようやく事の次第を理解したようだった。
そして僕のほっぺたを思いっきりひっぱたくと、扉をバタン!と閉め
ワーッ!と泣き叫びながら飛び出して行った。
僕はそのまま黙って階下に降りた。
見ると、花屋が目にとまった。
僕はそこで、妻のためのブーケをアレンジしてもらった。
店員が「カードには何とお書きになりますか?」と聞いてきた。
僕はふと微笑んで、言った。
「そうだね、こう書いてくれ。」
『毎朝君を腕に抱いて見送るよ。死が二人を分つ、その日まで...』
その日の夕方、僕は
妻への花束を抱え、顔に笑顔をたたえて
家についた。
はやる気持ちで階段を駆け上がる!
早く早く!妻のもとへ!
出迎えてくれた妻は
ベッドで冷たくなっていた。。。。
何も知らなかった。
僕は、何も知らなかったのだ。
妻が「ガン」であったことさえも。
ジェーンとの情事にうつつをぬかしていた僕は、
妻がこの数ヶ月必死で病魔と戦っていたことに
気付きさえしなかったのだ!
妻は分かっていたのだ。自分がもうじき死ぬことを。
彼女が出してきた「離婚の条件」は
僕を責めるものではなく、僕を救うためのものだったのだ!
自分亡き後、最愛の息子から
僕が責められることがないように。
毎朝お母さんを抱き上げて優しく見送るお父さん。
そう、そういう僕を毎朝見ていた息子にとって
僕はまぎれもなく
「お母さんに離婚をつきつけたお父さん」ではなく
「お母さんを最後まで愛したお父さん」となったのだ!
僕はどうしても皆さんにお伝えしたかった。
日々のささやかな幸せ、、、それが人生で何よりも大切であるということを。
幸せは
大きな家、土地、高価な車、または銀行の残高、、、
そんなものの中にあるのではないということを。
もしも今、あなたの傍らにかけがえのない伴侶がいるのなら
毎日がどんなに忙しくても
どうか、相手が大切だと伝える小さなジェスチャーを
心を通わせる時間を大切にしていっていただきたいと思います。
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ジェーン ジェーンさん 置き去りですね 大変かわいそうに思います!
世間の人達は この話(物語) 美談に思っているんだろうね。
ジェーンの立場で この話 読んだ人 どれくらいいるんだろう??
ジェーンより
ジェーンさんへ
poku 色々な見方ができますよね。
私は 自分が ジェーンでもあると思って アップしました
主人公は、夫でもなく 妻でもなく 子どもでもなく ジェーンでもなく それぞれだと思っています(^0^)
自分の中に どれだけの人がいるか どれだけの人の気持ちを共有できるか そう思いました
場所 粉河ふるさとセンター
テーマ 「認知症の向こう側には、変らない心」
岩崎 順子氏
2月1日の会は、紀の川市在住の方限定だそうです 80名
問い合せ 申込 紀の川市社会福祉協議会 0736-66-1211

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新しい 「み・ち mi・chi10号 」が発売されました

1冊 500円(税込)
今回は、「天使の梯子」 というタイトルで書きました

「こころ穏やかな毎日を送るために、『寺子屋のような本』をこの和歌山の地で作りたい そして 発信したい」
「一つとして同じ歩みなどない人の道 この『み・ち』があなたの日々の生活(みち)のお役立ちになればとても幸いです」これは、どちらも「み・ち」 編集長 粉川雅守さんの言葉です。
2010年10月誕生の「み・ち」
粉川雅守ご夫妻の夢であった「み・ち」も10号目になりました。
真摯に生きておられるお二人。夢を実現させたいという思いを聞いて、書かせていただくことになりました。私は、今回で7回目になります。
粉川ご夫妻の夢である和歌山発信の「み・ち」が、多くの方々の心に届きますように。
年間購読は、オフィスコカワ 073-476-5784 へ
他府県の方は ホームページからも 申し込みできます
み・ち ここをクリックしてね
一部、読むことが出来ます

教円幼稚園 理事長 園長の浅井周英先生が 師ありてこその人生 と題して 森信三先生のことを書かれています
下記は、み・ちのページから
「師ありてこその人生」浅井周英
「熊野十界曼荼羅図」 (後編):坂口健太郎
里親支援センター「なでしこ」:中村由美子
「肌荒れ、乾燥肌」:小林昌和
天使の梯子:岩崎順子
「生きる力」と「掃除」:藤浪宏典
まゆーら文庫にいる楽しみ:芝 直子
昭和のきっさ店ノート:石原七郎
「豊岡だより」:有難
「ロサンゼルス珍道中」:石田良郎
コレクション:貴志成恭
「マリオネット」は今日も行く:あじ子
「自他一如」:平井謙次
発行&編集人:粉川雅守 発行所:有限会社オフィス・コカワ
取り扱い店
WAY 和歌山ミオ店(JR 和歌山駅4階)
TSUTAYA WAY オークワ本店
TSUTAYA WAY ガーデンパーク和歌山店
TSUTAYA WAY 和歌山高松店
TSUTAYA WAY 岩出店
TSUTAYA WAY 海南店
宮脇書店 和歌山店