初対面ですが会った瞬間 もう昔からの知り合いで信頼できる人のような美幸さん

後日 島根県 奥出雲葡萄園の「小公子」赤ワインを送ってくれました
私は 和菓子やチョコレートを食べないをよく知ってくれていて 大好きなワインを送ってくれました
いいことがあったスペシャルな日に「小公子」をあけようと思っていました

小樽の義母の大笑いの顔を初めて見ることができたので「あけるなら今!」そう思って飲みました
美味しい~ 深い味わいのコクのあるしっかりした小公子
赤ワインとチーズ系 たまらなく美味しい~
島根は前から大好き 美幸さんや長坂行博先生が住む島根
もっと好きになりそう(*^▽^*)
雪がすごくて和歌山に帰ってきたらあったかい(笑)



88才になった母
二人の子どもを 若い頃に二人ともなくし 父を認知症で見送った母の言葉は深い
「房枝(娘)が20才過ぎで亡くなったとき 自分が辛すぎて 当時まだ10代だった圭介(息子)が辛かった気持ちに寄り添うことができなかったなぁ~申し訳なかったと今になってつくづく思うよ 何も出来なくても 寄り添うって大事だね~って今になって 思うんだよね~」
「私は物には恵まれない人生だったけれど 愛には恵まれたと この年になって気づいたよ
80才になっても まだわかんないことが88才になって ようや~くわかることがあるんだね 88年 のんびりぼや~っと生きてきたから なかなか気づかないんだよね~ この年になって今が一番 幸せだ~」
と母は言いながら笑った
子どもをなくす 親としてこれほど厳しいことはないように思う
体が引き裂かれるくらい辛かったことが2回もあった88年間
幸せだって言えるようになるまで どれだけ色々な思いをしてきたんだろう
「これからも まだまだ色々なことがやってくると思うけれど 心配したって 今からどうなるかなんて 誰にもわかんないもんね~ しょうがないよね~」と言う母

最後にハグして別れた(;;)
ずっと手を振ってくれていた(;;)
今回 大笑いした母の顔を何度も見ることができた
来てくれた方々が フェイスブックで感想を書いてくれました 写真と文 それぞれのかたが UPしてくれました

写真&文 上野由貢子さんより
今日は岩崎順子さんの、ガンが病気じゃなくなったときという題の講演会を聞きに行ってきました。
旦那様を40才過ぎで亡くされ、順子さん自身もまだ33才過ぎで、お子様も9才、6才、4才の3人のお子様を残されながら、気丈に悲しみを乗り越えてガンが贈り物と思えて、気づきを与えてくれたと思えるまでに立ち直れるまでの体験を全国700箇所以上で講演を依頼されて、引っ張りだこの人気の講師さんです。
私も3度聞きましたが、毎回心を打たれ、泣けてきます。
お近くで講演があれば、是非足を運んでみて下さい。
感動を与えてくれますよ。
亡くなった人たちは、生きる力、に形を変え心の栄養となり、残った人たちの中で行き続けていくのかもしれません。
とおっしゃられています。

写真&文 辻真須美さんより
以前から聴講したかった岩崎順子さんの講演にお伺いしました。
スライド、演台が無く、柔らかい笑顔で一人一人に語りかけてくる様なスタイルで、
始まった瞬間から、岩崎さんのお話の世界(タイムスリップしてその当時の様子を間近で伺っているような)
に引き込まれ、場面場面がセピア色で浮かび上がって来ました。
子供の頃、読み聞かせをしてもらった童話の世界に入っていくのと同じ感覚の様に思います。
ガンでの闘病では家族は、何が正解なのか分からず後悔と自問自答の毎日。
そして旅立った後も残された家族はさらに苦しみ続ける事が多い。
そんな中、間違いなんてない、すべて本人の事を一番に考えた結果であれば
誰も恨んだりしない。
その力強い言葉に元気をもらいました。
若かったご主人と幼かった子供さんたち、ご両親やご兄弟 ありのままに話してくださるからこそ心に響きました。

写真&文 中深千佐さんより
国保野上厚生総合病院にて。
岩崎順子先生の公開講座に『ガンが病気でなくなったとき~患者や家族が求める安心感~』参加しました。
岩崎順子先生のお話は今回で3回目ですが、いつも心が温かくなります。
改めていつも辛い思いをしている人や悩んでいる人の立場になって、少しでも寄り添う事が出来たらなと思います。
帰り道、母の顔を覗いてきました(*^_^*)
他にもたくさんの感想をくれた方々 ありがとうございます


海南市立日方小学校のときに担任してくれた竹内宏行先生(左下)です
竹内先生とはこの10年間 みんなで年に何回か食事会をしています
小学校の担任の先生と一緒に飲めるなんて すごく嬉しいことです
野上小学校の校長先生を退職してから 一昨年まで和歌山 温山荘 自然博物館の館長をされていました
竹内先生の奥様 竹内久子先生には 長男が海南市立日方小学校で担任してもらいました
その年に私の夫がガンとわかりフォローしてくれたのが 久子先生でした 先生ご夫妻とのご縁が繋がります
和歌山市屋形にある「そば切 徳」さんに伺いました
素敵なお店です 夜は美味しいコースもあり 先生に喜んでもらいました
女将さんの徳重亜喜代ちゃん(fbにいます)は 訪問看護師さんです
以前 看護師さんの講演会で聞いてもらった後 たまたまその帰りに2度も偶然会ったことがきっかけで それ以来とっても仲良くしてもらっています
徳重亜喜代ちゃん 綺麗な女将さん(右下)ご夫妻が経営しているお店です
いい感じのご主人が 丁寧にそばを打ってくれます
「そば切 徳(とく)」 素敵なお店ですよ
世界の裏側で権力を持って 牛耳っている人達
こういう子ども達の笑顔を泣き顔にしないでほしい
日本人も他の国の人も 同じ人間なのに
でもひとり一人が 自分の周りの人と争うことが 大きな戦争につながっているのでは
「赦せない人」を赦すのではなくて 「人を赦すことが出来ない自分」をもう赦してあげてね
『世界のありがとう』スナーダイ・クマエ孤児院のこどもたち
親がいなかったり 虐待を受けた子ども達が育ちやがて自分の足で歩いていくスナーダイ・クマエ孤児院
この子達も日本の子ども達も 同じいのち
この動画は スタジオなびさんが 作成
(私のお地蔵さんの絵をアレンジして使ってくれました ありがとう)
下記はスタジオなびさんのページにあった文です
▼スナーダイクマエ孤児院公式サイト
http://www.snadai.com/
▼代表ブログ
http://snadai.blogspot.jp/
▼スナーダイ・クマエ孤児院概要ムービー
https://www.youtube.com/watch?v=IGYcgMUi2YQ
長く内戦の続いたカンボジアでは政府が福祉政策を行える状況にないため、教育・医療などの分野ではその多くを外国からの支援に頼っています。 院の名称スナーダイ・クマエには「カンボジア人の手によるもの」という意味があり、ここで育った子どもたちが自分の手で国を担う人になるようにということ、また孤児院運営そのものも将来的にはカンボジア人の手によって完全に行うことができるようにという2つの希望が込められています。 カンボジアの復興は子どもへの教育から、内戦終了後も改善のみられない貧困層への教育の提供が院の始まりです。 設立当初は貧困農村から教育が受けられない子どもを多数受け入れていましたが、2000年以降Cambodian Women Crisis Centerとの連携により家族からの虐待により保護された子どもを主に受け入れるようになりました。その他、両親のいない子どもや母子家庭からの子どもの受け入れも行っています。 孤児院の自立運営促進のきっかけになればと、「スナーダイクマエ絵画展」を毎年日本で開催させていただいております。
イラスト:岩崎順子
唄:Snadai Khmer /Laika Came Back
ーーーー(上の文は スタジオなびさんのHPより)----