
感想をいただいた文(一部 中略させていただいています)

季刊誌 み・ち michi

問い合わせは オフィスコカワ

TUTAYA ガーデンパーク店 MIO店にて販売中
「み・ち」に、原稿を書くのは今回で3回目です
今回は、台風12号の被害を受けた方々へのエールを込めて書きました

何日もかかり 書き終えたときは 滅多に変動しない体重(たまには減ってほしい)が 2キロ減っていました



み・ち ありがとうございました。
またまた ゜(゜´Д`゜)゜ポロポロ・・・。
本当に よく記録しておいてくれたね!!小さな町の出来事で忘れられていくこと
なんだと思うけれど。
今日は 井関保育所で河川工事についての説明会に行ってきました。
住民感情 みんなそれぞれだね。自分の大事な人 家族をなくされた方も参加されていました。
議員さんも・・。住んでいる人の意見も 心のケアについても考えてくださいと
市野々のお友達が発言してくれた。スーっと涙が出た。みんなで協力しあってここまでこれた。
工事の都合については 5年以内には・・・・・。井関保育所は満員で私は立って聞かせてもらった。
マスコミの方もこられていたよ。

本も読ませてもらいましたよ。「人は生きているだけで、
十分誰かを幸せにしているのかもしれない。」などいくつかの言葉が心に残りました。
「それぞれに出来る、それぞれの一歩を」私も頑張ってみるね

勝浦の被災状況がわかりました。同じ和歌山人として何もしなかったこと後悔しきりです。

みち 読みました。岩崎さんの震災者の悲しみが優しさに変る描写に胸打たれました。
木村初子さんの文章も最高。魂を全力投球。
みちの表紙には、こころの旅とありますが、こころの雑誌ですね。
そこの土地の方々にも自然が重くのしかかって来られていることと思います。「み・ち」の岩崎さんが撮られた写真は悲惨ということもありますが、人間の力の小ささを感じます。車が壊れて、雑多なものが入り込んでいく、ひろ子さんの乗っていた車はチューインガムのようになっています。人間がつくった便利なものは、自然の前で足手まといとなっています。
木村初子さんは1020年生まれ。知り合いが今日、1925年生まれの助産師の方の家に行っています。行く前に、彼女のことばは重いと言っていました。
1頁、1頁を丁寧にレイアウトをし、著者のこころと一緒にいるオフィス・コカワさんによろしくお伝えいただけますか。

先日は、心温まる文を拝読させていただきました。その感謝や今の気持ちを
表すためにも、もっといろいろな文言を書き並べるべきかと存じますが、
ふがいなく、自分なりに消化させていただきつつ、その時々の社会情勢や
まわりの環境変化に どのくらい風化してどれくらい残るか?」一人
試してみたいと思います。冊子を勝手ながら、みなさんにも読んでいただいています。
あしからずご了承ください。

昨日、届きました。ありがとうございます、早速読ませて頂きました。いつも応援しています
(この方は、那智勝浦のボランティアに行きました その後も沢山の義援金を集めてくれました)

ニュースで映らなくなったら、被害のこともう忘れられていきます
文という形にしてくれてありがとうございます。

当たり前の中にあった大切なもの には、町内の自分にとって申し訳ないという思いが胸いっぱいにして、熟読させてもらったものです
あなたの言葉をかりれば、「他界された方々が人や町が立ち上がっていく姿を見守ってくれている 私はそう信じたい」と終わりに書かれていますよね 私もそう思います 立ち上がりが遅く、にぶくても私たちの分をしっかり生き抜き大切な町で 胸をはって生活してほしいと・・・きっときっと見守ってくれていますよね

お元気のご様子何よりです。あなたの文が読みたいばかりに「み・ち」を購読しました。
2012年第5号を早速読ませていただきました。感動しました。その行動力、仮に私が若くても、とても出来ないだろうと思うと恥ずかしくなりました。しかもそれを記録に留めることはとても大切なことだと思います。
よく、これだけの文章を・・・。私が岩崎さんを敬愛するのも、こうした体験の裏付けがあればこそですね。
「み・ち」立派になりましたね。郵送されてきたとき驚きました。定価500円で継続できるのでしょうか。

読んでから、那智勝浦へ募金しました

同じ和歌山にいて、ほとんど知らなかったです。申し訳ない思いです。

私の実家も被災しました。
言葉にしてくれてありがとう。伝えてくれてありがとう。

阪神大震災の時も感じたのですけれども、近くに住んでいるのに私たちは日常と変わらない生活をしている 悲しいね だから、被災地の情報を流すことは大事です ひろこさんの車は、ショック 県民は台風12号義援金に協力してほしいですね >(この女性は、東日本大震災の時に、ご近所を回り、布団 毛布を100枚あつめられました)

「当たり前の中にあった大切なもの」には,お友だちである岩本ひろ子さんが住む那智勝浦町のことが書かれていますが,私が住む町でも大きな被害がでました。毎日,通る道すがらも,川の様子が全く変わっていたり,道路が陥没したり,道の木々にゴミが付着したままであったりして,水害の大きさを今も感じつつ通っています。
毎日,通る道すがらも,川の様子が全く変わっていたり,道路が陥没したり,道の木々にゴミが付着したままであったりして,水害の大きさを今も感じつつ通っています。
橋が流されたままであったり,家を離れた方もいらっしゃいます。亡くなられた方もいらっしゃいます。
本当に,書かれている状態や思いはよく分かります。今もって,被害が大きかった地域へは足が向いていません。
また,当時も,私自身の家は,道路から少し奥まったところにあるため
難を逃れましたが,川が家の横を流れているため,一時高台へ避難しました。真っ暗闇の中で不安な一夜を過ごしました。早朝,見た光景は忘れないです。道路が川の水があふれ,波打っているのです。
流木が流れ,道路は土汚れで粘土状態になっていました。その中で,力を合わせて水をかき出し,土を押し出し していました。学校の方も気になったので,滑りながら車を走らせたのですが,
通行止めで結局行くことが叶いませんでした。
人生いろいろな出来事にあいますね。

みちの記事をよみました。すごかったのですね。車がひっくりかえっている写真でそう思いました。
いわさきさんの記事の中で「ビールにお疲れ様と書いて冷蔵庫に
いれ」かえってきたときに飲むという話しが気に入りました。僕もやろうと思います。

み・ち 読みました いわさきさんのブログで、長渕剛のクリックをしてきいてしまいました。
あ・り・が・と・うございます。

あの時の勝浦がこんなにヒドイ災害だったと写真と順子さんの文章でよくわかりました。本当に大変だったんですね。

私、ニュースでしか知らなかった。その上、忘れかけていました。ニュースと現実は違うのですね。

岩崎順子さんのメッセージ、読ませて頂きました。ひろ子さんの愛車の写真を拝見して
「よく、まあご無事で」の、言葉にならない想い…朝から晩まで働きに働かれたのですねぇ。
何もお手伝い出来なくて、ごめんなさい…。ご家族が、揃ってお暮らしの今の日々を、
私は何より嬉しく思います これから、良い事たくさんありますように

先日は、心温まる文を拝読させていただきました。その感謝や今の気持ちを
表すためにも、もっといろいろな文言を書き並べるべきかと存じますが、ふがいなく、自分なりに消化させていただきつつ、その時々の社会情勢やまわりの環境変化に どのくらい風化してどれくらい残るか?」一人試してみたいと思います。冊子を勝手ながらみなさんにも読んでいただいています
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岩本 ひろ子 記憶でなく 記録は大事!いつも職場の大先輩に言われております。
2月11日に東京で話すことになり何を伝えられるか自分でもまだまだ整理できない想いがありました。
災害に遭ったことから 生活は一変しましたが、時間の経過とともにずいぶんと平穏な日々を送らせていただいています。
岩手から来てくれた方に「忘れないでください」というメッセージをいただき共感しました。
災害から学ぶことは たくさんあります。
事実と向き合うことで 悲しい思いをすることもありますが、その分多くの方からの応援をいただいていることを忘れないように過ごしたいです。
岩本ひろ子さまへ
poku 2月11日は、東京で台風12号被害のことをみんなの前でお話してきてくれて ありがとう
もう数日で、台風12号被害から半年
同じ和歌山県の人でも、台風12号被害についてほとんど知らない人も多いです
> 災害から学ぶことは たくさんあります。
> 事実と向き合うことで 悲しい思いをすることもありますが、その分多くの方からの応援をいただいていることを忘れないように過ごしたいです。
本当にそうやね~
私も自分なりの方法で伝えていきますね