心から心へ いのちからいのちへ         講演のお知らせや 皆さんからいただいた感想をアップさせてもらっています 人のご縁や自然の中で生かされていることをちょっと心を緩めて書かせてもらいますね              
    広島 安芸高田市に講演に行った時 原爆ドーム 広島平和記念資料館に行ってきました

    3回目なのですが 毎回感じ方が違うなって思いました

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    今回 原爆ドーム前でボランティアさんの話をずっと聞かせてもらいました

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    平和記念資料館の中 被ばくした姿が再現されています

    原爆が落とされたとき 皮膚がズルッとむけてしまい爪のところで止まるために手から皮膚がぶら下がったこと

    被ばくした男の子達が校庭でみんなの前で裸にされて その後の身体がどうなるかアメリカの人によって知らべられたこと 

    当時それがうつるという間違った情報が流れ更に差別を受けたこと

    戦争について知らない子ども達が増えているから 戦争に対する意識が変ってきてしまっていることなど 生の声で聴かせてもらいました

    今年は終戦から70年 戦争を体験した方々がお亡くなりになったり高齢だったり その方々の声をなんらかの形で伝えていかなければと言っておられました 

    戦争を体験していない自分が戦争のことを伝えるのは申し訳ないと思っていた2010年 ひめゆりの塔に行って以来 考えが変りました

    戦争 原爆でこれだけ沢山の方がいのちをなくし 生き残った人達も心を引き裂かれるような悲しみがあった日本

    再現されたリアルな人形の写真は 怖いけれどあえてUPします

    被ばくされた方のもっとリアルな写真が資料館にありました

    でもその方も私達と一緒で幸せに笑って平和に暮らしたかったはず その気持ちを思うと ここにはUP出来ませんでした

    平和記念資料館 原爆ドーム 機会があればぜひ足を運んでいただきたい

    この方々の話にも耳を傾けていただきたいです



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    (広島市のhpより)

    平和記念公園内ではいたる所で、色鮮やかな折り鶴が見受けられます。
    折り鶴は日本の伝統的な文化である折り紙の一つですが、今日では平和のシンボルと考えられ、多くの国々で平和を願って折られています。このように折り鶴が平和と結びつけて考えられるようになったのは、被爆から10年後に白血病で亡くなった少女、佐々木禎子さんが大きくかかわっています。

     佐々木禎子さん(当時12歳)は、2歳のときに被爆しましたが外傷もなく、その後元気に成長しました。しかし、9年後の小学校6年生の秋(昭和29年・1954年)に突然、病のきざしが現れ、翌年2月に白血病と診断され広島赤十字病院に入院しました。回復を願って包み紙などで鶴を折り続けましたが、8か月の闘病生活の後、昭和30年(1955年)10月25日に亡くなりました。
    禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め平和を築くための像をつくろうという運動が始まり、全国からの募金で平和記念公園内に「原爆の子の像」が完成しました。

    その後この話は世界に広がり、今も「原爆の子の像」には日本国内をはじめ世界各国から折り鶴が捧げられ、その数は年間約1千万羽、重さにして約10トンにものぼります。

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